神話最強ののんべぇ

神話上の怪物は、『古事記」では八俣遠呂智、『日本書紀』では八岐大蛇と書き、目玉は赤いホオズキのようで、八つの頭と八つの尾がある。

苔や檜や杉が生えた身体は八つの谷、八つの丘を渡るほどで、その腹は常に血で欄れているという恐ろしさだ。

以下はその物語――。

高天原を追放されたスサノオが、出雲国・斐伊川の上流、鳥髪という地に降ると、川上から箸が流れてきた。

上流にいけば人が住んでいるのだろうと歩いていくと、足名椎・手名椎という老夫婦に出会う。

老夫婦は童女を間において泣いていた。

スサノオが理由をたずねると、アシナズチは、「わたしたちには8人の娘があったが、毎年一度、高志からヤマタノオロチという大蛇がやってきて食べてしまったので、いまは奇稲田媛一人しか残っていない。今年もその時がやってきたので泣いているのです」とこたえる。

「ならば」とスサノオは、クシナダヒメを守るためにその姿を櫛に変えて髪に挿し、老夫婦に向かって、「八塩折りの酒を醸して垣根をめぐらし、その垣根に八つの門を作って門ごとに酒船を置き、八塩折りの酒を一杯に満たして待つように」と命じた。

しばらくするとオロチが現れ、八つの酒船に八つの首をつっこんでガブガブと飲み干すと、やがて酔っぱらって寝てしまった。

そこでスサノオは持っていた十拳剣で大蛇をずたずたに切り裂き、みごと退治することができた。

その尾から出てきた剣が草薙剣である。

酒で失敗した第一号

『古事記』には、応神天皇が酔っぱらって大和から河内に抜ける坂道を歩いていたとき、持っていた杖で道端の大石を打つと、その石が走って逃げ去ったという話が載っている。

そのため、諺で「堅石も酔人を避く」というのだ、と続けて説明している。

堅い岩でさえ酔っぱらいをよけるのだから、酔っぱらいには気をつけうというわけで、この教訓は現代でも通用しそうだ。

日本史において、米による酒造りが文献上にはじめて登場するのは『魏志倭人伝』で、倭人は「人性嗜酒」で葬儀の際に「歌舞飲酒」するとある。

つまり、酒好きで葬式の席でも歌い踊りながら酒を飲んだというのだから、あるいは邪馬台国でも、酔っぱらい同士のトラブルが絶えなかったのかもしれない。

酒の上で失敗して身を滅ぼした第一号といえば、スサノオノミコトの遍歴神話に出てくるヤマタノオロチが有名だ。

酒の語源は笹から?

竹の葉は笹だからササという洒落は、いかにも日本的だが、異論もあって、たとえば江戸時代に伊勢貞丈が書いた『貞丈雑記』には「酒をささとくこんともいふのは、ささは、三々である。くこんは九献である。酒は三三九度くむを祝とするからである」とある。

ただし、これも少し苦しい。

ちなみに、中国山西省杏花村産の「竹葉青酒」は、扮酒に竹の芯芽を浸した薬効酒。

また、能登の銘酒「竹葉」(明治5年創業)は、仕込み水を引いたあたりが笹で覆われていたところから命名されたそうだ。

サケの語源について、別の説では、サカエが転じてサケになったとしている。

サカエノキ(栄えの酒)から転じてサカエケ(栄え供)となり、略してサケになったという説明で、飲めばたちまち酔い栄える慶賀繁栄の意味というわけだ。

また、神崎宣武氏は「サケは、サ(斎庭とか早乙女のサと同じで、清らかな意をもつ接頭語)のケ(鱗、食べものの意)、と解釈するのが妥当であろう」(『酒の日本文化』)としている。

つまり、清浄な飲み物という意味で、ササは古語におけるサケの女房詞だという。

いずれにしても、クシという古名に比べてサケという言葉には謎が多い。

外国の酒があふれる現代では、「日本酒」と呼んで区別せざるをえないだろうが、たまには語源を考えながら「清らかな水」を味わってみるのもいいだろう。

酒は古くから飲まれていた

酒の古名はクシという。

古くは薬のことをクスシといい、また飲むと酔ってしまう不思議な作用から「奇し」という意味にも通じている。

クシが短まってキとなった。

御神酒のキである。

『古事記』には「御酒」とか「大御酒」とあって、神話時代の天皇たちは、じつによく御酒を飲んでいる。

サケという言葉も同時に登場していて、大御酒蓋という酒器も現れる。

ところが、サケの語源としては、決定的な説が見当たらない。

『広辞苑』ではサケのサを接頭語、ケをカ(香)と同源としている。

また、酒の女房詞とされるササについては、サケのサを重ねた語で、中国で酒のことを竹葉というのに基づくとする説をとっている。

一五世紀に書かれた行誉の『塩嚢紗』にも「酒を竹葉といふのは只これ酒の異名なり」とある。

清らかな飲み物

サケを「日本酒」と呼ぶのは、もはや当たり前になった。

テレビの料理番組でも、昔は「酒大さじ一杯」などといっていたのに、最近はもっぱら「ニホンシュ」だし、料理人によっては「ニッポンシュ」と連呼していることもある。

しかし、長い歴史を誇る日本の「酒」をニホンシュと呼ぶようになったのは、つい最近のことだ。

酒を簡単に定義すれば「米を原料に醸造したアルコール飲料」となるが、清酒も濁り酒もこれに含まれるわけで、現在のように清酒のみを日本酒というのはいかがなものだろうか。

いまいわれている日本酒は、やはり、酒あるいは清酒が本来の呼び方なのてある英語では「sake」という。

迎賓館や首相官邸での晩餐会で外国の賓客に出される場合も、メニューにはそう書いてある。

しかし、一見してわかるように、英語でさえ、サケと呼んでいるのだ!と声高に叫んだところで、はた、と考えてしまった。

では、サケの語源はなんなのか。

全てが平等の酒場物語

タパドのおやじが、語り手である私(チョーサー)に話しかけるところがある。

「彼はいったbr />

『いったいあんたはどうしたんです。br />

自分の兎でもつかまえようとしているように見えますよ、

下をむいて、地面をじっと見つめていて。

こっちにいらっしゃい、あんた、目を上げて、陽気にやりましょうや!

旦那方、席をあけて、この人を入れてあげて下さい。

この人は、私と同じぐらい腰まわりがほっそりして、どんな女性も抱っこできるようなちびっこです。

ちっちゃくて、かわいい顔をして。

妖精みたいでしょう。

この人は、ことばを、たわむれにしゃべったりしないんですよ。

さあ、他の連中のように、あんたもなにかしゃべりなさいよ。』」

チョーサーが亭主にひっぱりだされて、どぎまぎしている様子が浮かんでくる。

チョーサーは酒場という空間を選びだして舞台とすることで、

さまざまな面を、「これも人生」という平等性のうちに描きだすことに成功している。

酒の席ならどんな話もOK

粉ひきの男はいう。

「聞いてくれ、みんな、おれのいうことを。

まずはじめに、いっとくべきことは、おれが酔っぱらってるってことだ。

自分でもしゃべり方がおかしいってわかっている。

もし、おれの話が混乱したら、それはサザークのビールのせいだと承知してくれ。

じき、年寄りの大工とその妻の伝説と生涯の話をしよう。

若い学生がやってきて、いかに大工の妻を寝とったかを……」

ここで町会長が怒りだす。

そういった話は、罪深いし、馬鹿げているというのである。

これに対して、粉ひきは、「古きわが友オズワルドよ、これも人生さ」と答える。

酒場においては、わいせつで、不道徳な話も許容されるのだ。

たとえ坊さんが同席していても、そこは、ざっくばらんで、民主的な席なのであるから。

どんな話であっても、それもまた人生の一面であるなら、他の話と同じようにここで語られる権利を持っているのだ。

司会者は実力のある人物に

酒場でさまざまな人々が混じりあうことは、支配者側には不安の種であった。

十四世紀には多くの農民一揆が起こったが、その決起の相談は酒場でなされることが多かった。

そしてしばしば、酒場のホストがそれを指揮したのである。

タバドのおやじも魅力的な男である。

酒場の主人は、さまざまな人々が集まっている場をうまくとりまとめなければならない。

チョーサーはそれをマーシャル・イン・ア・ホール(広間の大将)と呼んでいるが、

タバドのおやじはそれにふさわしいわけである。

彼は酒席での平等性を保ち、けんかを仲裁し、座を白けさせないようにする。

『カンタベリー物語』では、まずはじめに騎士の話がある。

それが終ると、司会者であるタバドのおやじは、次に修道僧に話させようとする。

ところがこの時、粉ひきが割りこんできて、ぜひ自分に話させうという。

彼は酔っぱらって青くなっている。

誰でも参加できた酒場

まずタパドのホスト(主人)を紹介することにしよう。

「わがホストは私たちを大歓迎した。

めいめいが席をすすめられ、食事がはじまった。

彼は私たちの期待できる最上の料理を出した。

酒は強く、飲むのは楽しかった。

そして、わがホストはおどろくべき男で、広間の大将にふさわしかった。

彼の目はきらきらしていて、腹はちょっと太めであった。

チープサイドでこれほどの男は他にいなかった。

そのことばは大胆で、しかも賢明であり、如才なかった。

男らしさのすべてを彼は兼ねそなえていた。

さらに彼は陽気な男で、食事が終ると、彼は面白おかしく、スポーツやその他の話をした。」

さまざまな国々のさまざまな階級職業の人々が一堂に会して、飲食をするというのが、宿屋=酒場の空間の特徴である。

酒場で始まるカンタベリー物語

4月の心地よい雨が降り、さわやかな風が吹き、花が咲きだすと、イギリス人はその陽気に誘われるように、

カンタベリー巡礼に出かけたくなる。

「そんなふうな季節のある日、サザークなるタバド亭で、信心深い私はカンタベリーへの巡礼に出発しようと準備していた。

夜になって、この宿に種々雑多な29人の一行がやってきた。

彼らはやはりカンタベリーへの巡礼者であった。

この宿の部屋やうまやは広々していて、居心地がよく、すべてが最高だった。」

十四世紀末に書かれたというジョフリー・チョーサーの『カンタベリー物語』はこのようにはじまる。

タパドに集まった巡礼者は、坊さんから、商人、職人などさまざまな階級職業の人々であり、彼らは一人ずつ話をはじめる。

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